焼いて粉(コ)にして屁で飛ばせっ!!

QLOOKアクセス解析
 

スポンサーサイト

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
  • Edit
  • TB(-)|
  • CO(-) 
 
 

開化期の息吹を感じて......あぁ、江田島海軍兵学校 2

開化期の息吹を感じて......あぁ、江田島海軍兵学校 2


再びランキングに参加しはじめました♪


もしよろしければ、下のバナーに応援クリックしてくださると嬉しいです♪  


ありがとうございます♪


にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村


さて本日は、江田島海軍兵学校見学の続きです。


前回の記事はこちら ↓


http://blog.goo.ne.jp/1031444/e/3191565aab5cce2b56f18ee025eafb7b


http://blog.goo.ne.jp/1031444/e/fe2195e3ef9b6c55804c74e0033ed6f6


 


まずさっこ達が見学した構内施設はここだった。↓



例によって、紫外線がダメな私は、顔に黒い覆いをしているよ。 怪しくてごめ〜ん(^_^;) ↑


 


この建物は、大講堂だ。


当時大正6年に 海軍兵学校生徒の入校式、卒業式または、精神教育の場として建築されたそうだ。


 


幸い式典などを行っていなかったため、中も見学させて頂けた。


内部はほぼ吹き抜けとなっている。


その高さは、すごい迫力だった。


 


ここで、案内人の方がこうおっしゃった、


「 この講堂では、全ての声や音が、直に耳に入ってくるのではありません。


一度吹き抜けの天井にぶつかって、音が上から降ってくるのです。


私のこの声も、どこから聞こえてくるか、よく注意してみてください。 」


このように促されたので、さっこも早速 聞こえ方に細心の注意を払ってみた。


 


するとどうだろう。


案内人の方が仰る通り、


確かに声は 高い天井から降ってくる。


 


次に案内人の方が、パチンと柏手も打ってくださった。


その手を打ち鳴らす音も、確実に上から舞い降りてくる。


 


これにはさっこは、つくづく感心してしまった。


因みに案内人の方の説明によれば、


その音響効果には、天井に張り巡らされた和紙も関与しているということだった。。



しかしそんな明らかな説明を聴く一方で 


さっこの中では思わず こんなユニークな発想も生じてしまったんだ。


 


さっこは一人こっそり考え ほくそ笑んでしまった。


この講堂には有能な魔法使いが住んでいるのではないかな?と.....。 


 


そして魔法使いは、講堂での演説が始まると、


早速 見えない魔法の杖をいたずらっぽく「 ひと振り 」するんだ。


 


すると あらゆる声や音に たちまち活気ある命が宿ってしまうんだよ。♪♪♪


そのくらい私は、講堂の天井から降ってくる音に、広がりとパワーを感じたんだ。


 


また、このようにも感じ入っていた。


それは この音響の仕組みでさえ、


全ては企てられた「 歴史上の必然 」だったということ....。



何故ならば、この江田島海軍兵学校卒業生には、


日本という小さな国の激動期を直接動かしていった人物が沢山おられるからだ。


つまりこの兵学校は よりすぐりのエリートたちの学びの場であったということだ。


 


常に国に対して 全ての責任を引き受けながら舵取りをしてゆかねばならないエリートたち.... 


そんな彼らが当時の荒波の中を怯まず進んでゆくためには


どれほどの優れた気魂や大いなる勇気が必要だったことだろう...


 


過去の深海の中へためらいなく沈んでゆくように、大講堂に佇みながら私は


「 その時の彼ら 」に 深く深く思いを巡らせていった。


 


更に身勝手なイマジネーションは 


沸き起こるままに 思考の海を泳いでゆく。。


 


そして ふと思ったんだ....。


その時代を背負って立つ 「 気高いまでの大和魂 」を培う上で、


この大講堂の音響は、どんなにか効果的であったろうと....。


 


もしかしたらある時は 上から舞い降りるてくるような音の波が、


生徒一人一人の魂に、まるで天から届けられた神聖なる祝辞のように響いたかもしれない。


 


またある時は サイドの高き窓から射し込む陽光と空中をめぐる震えるような音の響きが丁度よく重なって


生徒にとってはそれが まるで「 勝利へ導く荘厳な光のジュータン 」のように感じられたかもしれない。



それくらい「 音 」というものは 常に明白な体感となる。 


 


時としてその振動は


魂の深いところまで ためらうことなく沿い伝わってゆくことだろう....。


 


このようにして大講堂によって生み出された「 音の波 」は、 


場面場面で見事にその性能を発揮し 貢献したのではないか?!


兵学校の生徒たちの 決して屈することのない「 信の軸 」の形成に......。


 


これはあくまで、私独自の推測だけどね.....。



ところでこの大講堂は ドラマ「 坂の上の雲 」でも ロケ地として採用されていた。


 


秋山氏のその演説シーンでは、


彼の「 踊り動くような熱意 」が この大講堂の反響効果によって、より鮮やかに強調されていた。。


それは今でも 私の心に印象強く残っている。


 


どうやらこの大講堂の性能は、ドラマの中でも、しっかりと活かされていたように思う。


 


これは、大講堂の入口の鉄の扉。↓



深緑色のこの重厚な扉には、「 絶えることのない尊き伝統 」が 風格として漂っていた。


 


大講堂の話がだいぶ長くなってしまった。


つまりそのくらい私は、この大講堂には感動したということだ。


 


次に海軍兵学校を巡る時、絶対にハズせないスポットを紹介しよう。


それは 通称「 赤レンガ 」と呼ばれるこの建物。


この赤レンガは、明治26年に、海軍兵学校の生徒館として建築されたそうだ。



ここで案内人さんが、「 レンガに近づいて、どうぞ触れてみてください。」と仰った。


そこでさっこは勧められるがままに 赤レンガを敬うように、そっと指で撫でてみた。



そっと 触れてみた感触は、スベスベで滑らか〜という感じだった。


レンガは100年以上も経っているとは思えないほどの美しさだった。


 


案内人さんの説明によれば、何やらこの赤レンガは、加工する過程で、とても高温で焼かれたらしい。


そして一つ一つ大切に、油紙に包まれて、英国から運ばれてきたのだそうだ。。


「 そのくらい高価なものだったので、このレンガは何年経っても劣化しないのです。 」と案内人さんは、誇らしげにそう仰っていた。。


あの時代に、既にそんな良質なレンガもあったのだと


英国の伝統技術に、つくづく感心してしまった私だ。


 



この長い廊下は、どこか見覚えがあった。


 


そうだ!!   


ドラマ「 坂の上の雲 」で 秋山真之が何度も行き来していた廊下である。


 


ここで再び、案内人さんが 楽しそうに微笑みながら 見学者たちに問いかけてきた。


「 この廊下の一番奥にあるのは なんだと思いますか? 」


.....その答えは、「 鏡 」だった。


 


その後、案内人さんの説明はこのように続いた。


「 ここだけでなく、海上自衛隊の施設では、あらゆる場所に鏡がおいてあります。


それは鏡の前を通るたびに、ピシッと身なりが整っているか確認するためです。 


これは海軍時代からの習わしです。 」


 


海軍では当時から、


服装の乱れは精神の乱れとみなされ、常にきちっとした身なりを要求されたそうだ。


 


これは余談になるが、綴りながら さっこはひとつ、思い出したことがある。


それは、以前見たことがあるMちゃんの自衛官の制服姿も  清々しいほどキチンとしていたということだ。


その時に、制服のズボンの折り目が一糸乱れず通っていたことが とても印象的だった。


その折り目ときたら、まるで長い定規をなぞらえたようだった。


 


それからしばらくすると私たちは、 


まるで明治時代にタイムスリップしたような光景を目にすることができた。


 


なんと!!案内人さんのご説明そのままの、


海軍兵学校時代からの習わしをそのまま受け継いだ幹部候補生さんをお見かけすることが出来たのだ。



その日はどうやら、何かの式典の練習をしていたようだ。


すごーい!!


生まれて初めて観る光景に、私の心は一気に高揚した。



そのうちに俄かに海軍のラッパが、高らかに響き渡った。


音色はとても澄んでいた。


それはまるで 黄昏の空を真っ二つに切り裂くように爽快であった。



 


また歩きながら こんな景色にも出会った。



案内人さんは、このポイントからの景色を 大層ご自慢なさっておられた。


 


初夏になると、この道の向こうに 青い空に真っ白な入道雲が浮かび、


松林を越えた先にある瀬戸内海が、夏の日差しを浴びて、所々煌くのだと....。


 


そんなお話を耳にしながら既に私は  


再びこの地を訪れて、その風景をどうしても眺めてみたくなっていた。



この見事な松林を ぜひご覧になってほしい。


 


ここの松はみな、ピシッと天に向かって伸びている。


 


その有様はまるで


あの激動期を生きた「 若き青年将校達の魂 」のようだ....。



さて この下の写真では、


松林の左側にある 大きなネズミ色の塊に注目してほしい。 ↓


これは、 戦艦「 陸奥 」の主砲だそうだ。


 


江田島湾を見据え、今なお堂々たる姿で構えをみせる大きな大砲....


それはまるで、「 目に見えぬ敵艦 」を威嚇するかのように じっとしんぼう強く佇んでいた。


 


あんな大きな大砲が、船の上に乗っていたんだな....


私は 戦艦陸奥の大きさを、そっと想像してみたりした。



 


また、滅多にみることのないこんなものも見学することができた。


それは、戦艦大和の主砲砲弾だ。


私の背後にある白いロケットのようなものが、戦艦大和の主砲砲弾だ。



 


最後に 教育参考館を見学した。


 


ここには、歴史上の有名な人物が愛用されていた軍服や短刀、手にしていたもの、直筆の書などが多く展示されていた。


そしてこの場所だけは唯一、


戦火に散った英霊たちの御霊を敬い撮影禁止となっている。


 


中でも、神風特攻隊の遺書や遺品などが とても生々しく 心に迫ってきた。


 


彼らの国を愛する気持ちに思いを馳せたとき、


やはり 兵学校校庭の松林が心に浮かぶ。。


 


青々とした松たちの、天に向かって真っ直ぐに伸びてゆく「 一途さ 」....


その有様は逆に、 言うに言われぬを痛々しさを誘った。


 


全てを駆り立て巻き込んでいった あの時代のイデオロギー。


それは宛ら、 衰えることのない台風の目のようであったのだろう....。


 


皮肉なことにこの江田島は 、ある意味、


その台風の目の発祥地であるとも言える....。


 


ここでは有名な将官に関しては


その都度個人毎に 人物像やその功績について 高く評するような説明が添えられていた。


 


しかしそれは何度も言うが、あくまでも、有名なエリート将官に対して だけである。


その実情を改めて目の当たりにし、奥深くに微かな反発心を覚えたのは私だけであろうか?


 


そんな僅かな心の逆流の中で私はふと、


平和記念公園のシンボルである「 戦火の中の親子像 」を思い浮かべた。


 


そして 絶対に忘れてはならないと 刻み込むように心に誓った。


 


多くのエリート英霊が賞賛されるその裏側で、


決して個人毎に称えられることなどない 沢山の名も無き命たちが、 


戦火の中を逃げ回り、 果てには真っ黒に焼け焦げて、 もがき苦しみながら死んでいったという真実を....。



「 英霊には エリートも選民もないのだ 」


私はどこかで憤るように そっとそう思った。。


 


そして この記事を書き綴りながら私は、


改めてもう一度 襟を正して、


あの時代を生きた全ての御霊に 心からの追悼を捧げたくなっている。


 


ここ江田島は


明治の開花期の香りやエナジーが まだそのまま残っているような.... 


なんとも言えず、不思議な場所であった。


 


実際に戦時中、江田島だけは空襲の標的とならなかったそうだ。


すぐお隣の呉でさえ、戦火に包まれたというのに。


 


だから 当時の建物や風景が、


手入れの行き届いた状態で 今なお美しく息づいている。 



それは 敵国アメリカが


当時 この海軍兵学校に、深い敬意を表していたからだそうだ。。


 


そのくらい この海軍兵学校は、有能な将校を生み出す聖地として


世界にその名が轟き渡っていたらしい。


 


そして現在も、その風格、精神、息吹は


伝統として、自衛隊幹部候補生に揺るぎなく受け継がれている。


 


まるでタイムマシーンに乗ってたどり着いたような海軍兵学校跡地.....



私はこの場所を訪れることができて、本当に良かったと思っている。


だって訪れる前よりもほんの少し 日本という国のことを知ることができたから。


 


そして帰宅後 私は、


学生時代 一番嫌いだった日本史という学問に


自然に心が向かうようになった。


 


特に明治維新に強い興味を懐き、日々、娘の参考書などを読みあさっている。


今は、幕末以降の歴史の流れを 独学でさらい直している状態だ。


 


何故こんなことになったのか、自分でもさっぱりわからない。


ただ無性に日本という国について もう一度学びたくなってきたんだ。


 


そして私を惹きつけてやまない、この明治という時代について


今 私があるがままに感じていることがある。


 


それはこの明治という時代には、


何か言い知れぬ 「 火山のようなエナジー 」が 


絶えず根底で うねるように躍動していたということだ。


 


ここで今回のレポートの締めとして.....


江田島という場所を私に教え、連れてきてくれたMちゃんに 心からの感謝を伝えたい。


さっこに素敵な学びのきっかけを与えてくれて、Mちゃん 本当にありがとう。



海軍兵学校の桜。


昔と変わらぬ風格で、こんなにも力強く咲き誇っていた。


 


こんな桜の写真を見ていたら、自然に「 同期の桜 」を歌いたくなった。


相変わらず、思考が単純明快なさっこである。



 


帰り道は 江田島の港から、フェリーで広島まで帰った。


 


さようなら、江田島....


そう言って、二人でおどけながら手を振ったね。




瀬戸内海は 大きな船がひっきりなしに行き交っていた。




Mちゃんは 私のリクエストに応えて、風が強い中 始終甲板に出て


夕日や大きなお船の写真を沢山撮ってくれた。。


 


そのために、帰ってから風邪をこじらせてしまったMちゃん.....。


さっこはいつもマイペースでワガママで 本当にごめんなさい。



それにしても、


瀬戸内海の夕日は 真に息を呑むほどの美しさだったね Mちゃん......。


 


Mちゃんと一緒に味わった瀬戸内海の夕焼け空、


さっこはきっと ずっとずっと忘れないよ。





こんなに美しい写真を沢山撮ってくれた名カメラマンのMちゃん、心からありがとう。


 


次はいよいよ最終回。


錦帯橋を訪れたことを記事にします♪


お楽しみに♪



再びランキングに参加しはじめました♪


もしよろしければ、下のバナーに応援クリックしてくださると嬉しいです♪  


ありがとうございます♪


にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村

スポンサーサイト
Guide
  •  …この記事と同じカテゴリの前後記事へのページナビ
  •  …この記事の前後に投稿された記事へのページナビ
 

~ Comment ~

  ※コメントの編集用
現在シークレットコメントは受け付けていません。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU anime_down3.gif

同じカテゴリの記事が一覧表示されます
同じタグの記事が一覧表示されます
更新月別の記事が一覧表示されます
キーワードで記事を検索
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。